カイロプラクターへの道 その1
カイロプラクターへの道 その1
その1. 交通事故
1986年7月7日七夕の日、私にとって転機になった、大事件が起こったのです。
それは、生死にかかわる交通事故でした。
私は、モトクロス用のオートバイに乗って、大磯の職場から辻堂の自宅に帰る途中のことでした。
湘南の海沿いの134号線で相模川に架かる湘南大橋の少し手前、某デニーズの駐車場から、突然確認せずにでできたワンボックス車にノーブレーキで衝突し、右折待ちの乗用車の下に滑り込んでしまったのです。
大音量の衝突音の後の静けさ…
気絶寸前の全身の激しい痛みの中、意識はあるし、手は動きます。
誰も声もかけてくれず、助けに来てくれない、その異様な静寂の中で、私はできるだけの大声で、「助けてー!」と叫びました。
その途端、たくさんの人が集まって来て、私を車の下から引っ張り出してくれました。
皆んな、私が死んでいると思っていたのです。
そして、生まれて初めての救急車に乗って、某市民病院に運び込まれました。
その2 病院に運ばれて
バイクに乗っていて、車に衝突し、別の車の下に滑り込んむという大事故に遭ってしまった私です。
やっとのことで、車の下から引き摺り出してもらい、救急車に乗せられました。
救急隊員に、どこが痛いか聞かれ、
"全身が痛いですが、特に右脚が痛いです!"
即、隊員さんがカッターでブーツを切ってくれました。
その時私の履いていたのは、モトクロス用のブーツで、内側に鉄板が入っている物でした。
なんと、その鉄板が内側に折れ曲がって、脛にグッサリと刺さっていたのです。
今思えば、鉄板が無ければ脚の骨が折れていたのかもしれません。
けれども、酷い出血と痛みで気を失いそうでした。
そして、腰も首も激痛が走っていました。
病院に着いて診察を受けたところ、診断結果は、右脛骨にヒビ、重度の腰椎捻挫、重度の頚椎捻挫(むち打ち症)、その他多数の打撲でした。
その晩は痛み止めを飲んでも痛くて眠れませんでした。
検査2日目のこと、頚椎に異常があるので、間隔を狭くする手術をすると言われました。
"そのような手術の前例はあるのですか?"と聞いたところ、
"あまりない"との返事です。
想像しただけで恐ろしい手術で、しかも前例もない・・・。
私は即その手術を断りました。
そして、自ら退院したのです。
それが、永くて厳しい完治への戦いの始まりでした。